「言の葉 コトノハ」 の温もり

言の葉 コトノハある時、友人と食事をしていた時のこと、

「すみさんって、
どうしてそんなに文章にこだわるんですか?」

と尋ねられた。
なんだか、

「はっ」

とさせられて、
ぼくは自分の話をしはじめた。

、、、

高校2年の秋、
11月のこと。

「○○くんがタヒんだ」

そう母から告げられた。

「??」

つい、
2日前まで無邪気に遊んで笑っていた、
あいつがタヒんだ?

まさか?

全く実感が湧かなかった。

けれども、

棺桶の中で眠る親友の、
変わり果てた姿を見て、

私は、
現実というクソ不味いコンクリートのような硬き食物を、
無理やり喉元から体内に押し込まれた。

これが

「タヒ」

か。

もう2度と話すことができない。
もう2度と笑い合うこともない。
もう2度と熱い思いを語り合うこともない。

これが、

「タヒ」

なのか。

あいつは、
高校も行かず、
せっせとビルの室内清掃の仕事をしてた。

大好きな親方を喜ばせるために、
心を込めて窓を拭いた。

内側だけでは、
ガラスはきれいに見えない。

外側を磨かなくては、
内なる輝きも失せてしまう。

あいつは身を乗り出して、
窓を磨いた。

4階からの転落タヒだった。

あいつは金髪だった。
あいつは不良だった。
あいつは暴走族だった。

でも、
ガラスと同じで、

心の内が優しく美しいことを、
私は知っていた。

あいつには姉ちゃんがいた。

弟が大好きな姉ちゃんだった。

私の知らないところで、
姉ちゃんは弟の死を受け止めれずに、
自ら命を経とうとしていた。

そんなことも知らずに、
私は天国に行ったあいつに詩を書いた。

突然の事故で君は天へ
神の元にこの世を後に
けど今までよりずっとすぐそばに
永遠に生きつづける心に、、

誰が送ったのか、
私の書いた詩を読んだあいつの姉ちゃんが、
命を経つのを止めたんだと。

私は素直に嬉しかった。

自分の心からあふれ出た

言葉が
文章が

1つの消えかかった命を、
生へと繋げた。

それが、
たまらなく嬉しかった。

、、、。

そう、
その時から、

私は文章という未知の世界を旅している。

そして今、
そんな事も忘れてしまっていたけれど、
まったく畑違いの土俵でライティングをしている。

、、、

最近、

「Xの市場をぶち上げたい」

ずっとそんなことを考えていたんですが、

その本当の思いは、

多くの人に「文章の魅力」
というものを知ってもらいたい!

っていうのが強いんです。

ぼくは人生の多くの時間を、
文章という世界の中で過ごしてきました。

文章というか、

「言葉の世界」

です。

「言の葉」は深淵なんです。

あかさたな、、、

という50ほどの文字が、
並び変わるだけで、

人を、

祝福もすれば
呪いもする

励ましもすれば
陥れもする

書物で、

人生が変わる人もおれば、
人生を儚くする人もおる。

言葉というのは、

人の心をどうにかしてしまう、
魔力的な力をもっているんです。

世界の言語を見ても、
不思議じゃないですか。

ぼくたちの先祖は、

野に咲く美しい植物を見て、

はな

と呼びました。

けれど、
イギリス人は、

flower

と呼んだんです。

ギリシャ人は、

ルルーディア

と。

同じものを見ても、
それぞれが違う表現をしたんです。

そういう意味では、

言葉の並んだ文章

とは、

人の数だけ表現方法があっても、
おかしくないんですよ。

1人ひとり、
感じ方が違うわけです。

同じ一凛の花を見ても、

喜び
きれい
切ない
わびしい

その時の


背景
状況
立場
年齢

で、
全く違って見えるんです。

ライティングが苦手
文章はちょっと、、

という人が多いのは知ってます。

でも、
この無限の可能性に満ちた世界に、
多くの人が一歩踏み出してほしい。

そんな、
おせっかいな思いを抱いてるのが、
ぼくだったりするわけです。

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